初めての関西本線であり、初めてカメラを持って鉄道というものを撮りに行った、私にとって記念すべき日である。新聞記事を読んで初めて関西本線にSLが走っていることを知り、新聞の加太駅というところで撮った挿絵を手掛かりに出かけて行った。中学2年生である。父親にカメラを借り近くの商店街にあるカメラ屋でフィルムを買った。
カメラ屋で色々教えてもらい、動きのあるもの、黒いものを撮るのであれば高感度フィルムが良くて、シャッター速度を稼げるらしい。そこでまき直ししたKODAK TRI-Xなるフィルムを安く仕入れ撮りに出かけた。
完全にSLに夢中状態になっている。今回は奮発してカラーフィルムを入れて撮影に臨んだ。天然色でSLが表現できるので期待は膨らむが、次回以降は白黒に戻っている。フィルムが高ければ現像も高い。同時プリントなんてやった日には親に怒られた。
鉄道100年記念があるという情報を聞きつけて日曜日に出かけた、奈良から木津に行き奈良ではおそらく機関庫開放があり亀山にいるC57 C50も展示してあり、沿線でなかなか撮れない機関車を見ることができた。
鉄道100年記念で奈良運転所の機関庫内には参宮線を走っているC57198は4次型C57で結構好きだった。亀山駅構内で入れ替えをしている姿を見るC50109も顔をのぞかせていた。
有名な加太の大築堤、駅から30分近く歩いた場所にあるらしいとの情報得て出かけた。よりによって朝から雨、ひたすら線路に沿って歩いていると、ありました。これは第一級の撮影ポイントだと思った。雨を恨みながら写した。この時ネガを見て気が付いたが、梅小路蒸気機関車館にやってきていた、D511が亀山方面に走っていった。
再びカラーフィルムを入れて、加太に挑戦。天気も良くきれいな写真を撮ることができた。特に大築堤で撮ったD51254はお気に入りである
この辺りから直接加太に行くのではなく、柘植で途中下車してC58を撮りに行っている。D51を見慣れてくると、細身のボイラーを持つこの機関車は新鮮な感覚を持たせてくれた。また中在家では大築堤をさらに奥へと進み、スイッチバックの写真も撮っている
初めて見るスイッチバック。急勾配区間をジグザグに上っていく場所であり、この時も柘植から登ってきたSLと加太から登ってきたSLが行違う光景を見ることができた
加太が続いた後には、手軽に行けたご近所からもSLを撮ろうと考えた。関西本線の起点駅湊町、今では地下の立派な駅になっているが、当時は地上駅で寂しい駅であった。環状線からも見えないため、SLが走っていなければ行くこともなかったと思う。
木津駅は奈良から一駅で、運賃もそれほどかからないので、よく出かけた。駅周辺の風景も都会的な建物がなく手軽に行けるのが良かった
11月10日に発行された「最新SLダイヤ情報」を入手して知ったことであるが、貨物1291列車が日中帯に竜華操車場にまで走ってきていることを知り、ふらっと出かけたクリスマスイブ
連日のお出かけ。このころから雑誌などに他の人の撮ったSLの写真を目にするようになり、風景的な写真を意識するようになったのではないかと思われる。1972年最後のSL詣でとなった
年が明けて1973年、いよいよこの年の秋で関西本線からSLが無くなる。この日もふらりと奈良駅まで行きホームからの風景を撮ったり、SLの部分写真を撮りに行っていた
雪が降る予報で出かけたのかは、記憶が無くなっているが、関西本線で唯一雪の中を走るSLの姿をカメラに収めることができた。当時プロが使っていたというリバーサルフィルムを初めて使って撮影に臨んだ。結果はそこそこであったがプリントするにも手間がかかり、月日の経過共にカラーフィルムと同じく劣化が早く、これで見切りをつけた
7回目の加太遠征、何度行ってもいい写真が撮れない、変わった角度からの写真が撮りたい。何度も通いながらそう思ったが限られた時間の中で、なかなか思い通りに行かなかった
今回は加太の大築堤の横からと、築堤の先。その後亀山の駅ホームから荷45列車を撮り、木津駅に立ち寄りながら帰った
中学2年生最後、春休みを利用して柘植から参宮線のC57を狙って出かけている。柘植では相変わらずターンテーブルのC58を撮っている。この日は寒く途中から雪が降り始めたが積もることはなかった
後半は柘植駅周辺で次々にやってくるD51を撮り続けている。上りの列車に対しては駅進入、発車共に上りになっており迫力ある写真が撮れた。伊賀号も撮っているが、当時の考え方で現役で走っているものが正であり、臨時のSLはまがい物の考えがあった
この時期は参宮線のC57を撮ることに主眼が行っており、時間つぶしの関西本線になりつつあった。しかしこの日は原点復帰を思わせるように、初めて加太に行ったとき撮った場所を回帰していたようだ
3月に柘植に行ったときに発見した、柘植駅から中在家方向にしばらく歩いたところにある小築堤。ここを望遠でしっかり押さえることを第一目標と、この時も午後から参宮線を目指した。
再び久宝寺にあった竜華操車場に行く。この日はD511007でターンテーブルで方向転換するシーンや、勝手に乗ったのかは定かではないが機関車の助手席から記念写真などを撮っていた。周りには国鉄職員もたくさんいたので断って乗っているが、おおらかだった時代である
未開の地であった大河原、中学3年の梅雨前に級友と訪ねた。当時の撮影記録はネガ袋に撮影日と撮影場所を書いただけで、ネガ一枚一枚にはコメントしていなかったため、この写真をまとまるのにあたって一苦労した。結局当時一緒に行っていた級友に連絡を取り解決している
後半は大河原から加茂駅に移動し駅周辺を撮影した。今の加茂駅は電化されこの当時とは全く違う風景になっているが、この時は駅周辺に田園が広がっていた。途中時間があったのでタブレット交換シーンや近くの小学校に保存されているC5756のナンバーだけ撮っている
今回も前半は柘植、後半は参宮線に行っている。参宮線の帰りには加茂に立ち寄って先月撮った場所をカラー写真で残そうと思った。関西本線からSLがなくなるまで2か月を切っている
関西本線からSLがいなくなったのは、1973年10月1日からでこの9月2日のさよなら伊賀号を含めて数枚加太で撮った写真が、私にとって最後となった。この日以降も行くチャンスはあったが、最後の姿は見たくないとの、強い一念で行かなかった
9月30日で関西本線から現役と呼ばれた蒸気機関車が無くなり、意気消沈していたところに朗報が入る。梅小路蒸気機関車館に保存されているD511が走るという情報を得て、再び沿線に出かけた。この日はミステリー号が走ったことが写真からわかるが、いつ走ったかという情報を探し当てることができなかった
この日が正真正銘の最後の関西本線になった。11月3日と23日に伊賀路の旅号と言うのが、D511によって走ることがわかり、またまた出かけた。沿線はSLブームの真っ最中の首都圏から近いこの関西本線、ものすごい人出だった。復路では肝心のシーン手前でフイルム切れを起こす大失敗を犯した。